イギリスでの生活が始まってから、イギリス史、特にイギリス王室にハマっている、Ayaです。
ナショナルギャラリーや大英博物館等、見どころたっぷりの美術館、博物館が揃うロンドンの中で、
イギリス王室史押しの私がおススメするのは、「ナショナル・ポートレート・ギャラリー~肖像画美術館~」
「えっ?どこにあるの?」と思った方も多いかもしれません。
実は、ロンドンの中心、ナショナルギャラリーの裏側(トラファルガー広場付近)に位置しています。
2023年6月に約3年間の休館を経て、リニューアルオープンされました。
今回は、そんな「肖像画美術館」の魅力をお届け!
・イギリス史についてもっと知りたい!
・有名どころ以外の美術館も楽しみたい!
という方必見です!
「ナショナル・ポートレート・ギャラリー」の見どころ、
そしてこの美術館にも肖像画があり、私が英国史で最も興味深いと感じている「ヘンリー8世と6人の妻」について、
詳しく紹介していきたいと思います!
肖像画美術館の見どころ
2023年に大規模な改修を経て再オープンし、展示構成や設備が一新されました。
イギリスの歴史上の人物から現代の著名人に至るまで、多岐にわたる圧巻のコレクションです。
イギリスの歴史を彩る王室の肖像画
イギリス史に興味がある方にとって、ナショナル・ポートレート・ギャラリーはまさに必見!
展示は年代順に構成されており、肖像画を通して歴史の流れをたどることができます。
ここでは、歴代の王、女王の肖像画をいくつか抜粋してご紹介。
1. テューダー朝 (The Tudor Dynasty: 1485–1603)
絶対王政の礎を築き、イギリスの宗教改革を断行した時代。
- ヘンリー7世 (Henry VII)

テューダー朝の創始者。飾られている肖像画は、お見合い用に描かせたものだそう。
顔色悪くない?!と思ず突っ込まずにはいられません。
因みにヘンリー7世は、息子の嫁(後のヘンリー8世の最初の妻キャサリン)と再婚しようと画策したこともあり。
- ヘンリー8世 (Henry VIII)

6人の妻を持ち、イギリス国教会を創設した王。
詳しくはこちらの記事を参考にしてください!

- メアリー1世 (Mary I)

ヘンリー8世の長女。最初の妻キャサリンの娘。
カトリックの復興を試みて、プロテスタントを処刑たことで付いたあだ名は、「ブラッディ・メアリー」。
スペイン王フェリペ2世と結婚。妊娠が発覚するも想像妊娠だったようです…。
- エリザベス1世 (Elizabeth I)

ヘンリー8世の次女。二人目の妻、アン・ブーリンの娘。
イギリス「黄金時代」を築き、生涯結婚はしませんでした。
2. ステュアート朝 (The Stuart Dynasty: 1603–1714)
エリザベス1世が結婚しなかったことで、テューダー朝の跡継ぎはいませんでした。
そこで、ヘンリー8世の姉がスコットランド王家に嫁いでいたことから、
スコットランド王家に王位が継承されることになります。
- ジェームズ1世 (James I)

スコットランド王ジェームズ6世として、イングランド王位を継承。
皮肉なことにジェームズ6世の母は、エリザベス1世によって処刑。子供にも恵まれていましたが、晩年に寵愛した男性
はイケメンだったそう。その肖像画も隣に飾られています。
- チャールズ1世 (Charles I)
- イギリス史の中で唯一処刑された王。
議会の言うことを無視し過ぎて、好き勝手やり過ぎ、「王様、いらなくない?」と。
- イギリス史の中で唯一処刑された王。

- チャールズ2世 (Charles II)
- 王政復古を成し遂げた王。
フランスに亡命していたチャールズ2世はスタイルもフランス風。 - 愛人の数は、なんと14人!!愛人たちも周りに飾られています。
- 王政復古を成し遂げた王。

- アン女王 (Queen Anne)
- ステュアート朝最後の君主。
- 結婚し、17人の子供がいましたが、全員亡くなってしまい、跡継ぎを残すことができませんでした。
- 遠縁のドイツのハノーバーに住んでいたジョージ1世に王位が引き継がれることになります。
- ジョージ1世はイギリスに来た時、英語は話せなかったそう。

3. ハノーヴァー朝 (The House of Hanover: 1714–1901)
産業革命が始まり、大英帝国として世界に影響力を拡大した時代。
- ヴィクトリア女王 (Queen Victoria)
- ハノーヴァー朝最後の君主で、在位期間が非常に長かった女王。
夫であるアルバート公との肖像画や、家族の肖像画が多く残されています。
この時代から写真による肖像画も増え始めます。
- ハノーヴァー朝最後の君主で、在位期間が非常に長かった女王。

4. ザクセン=コーブルク=ゴータ朝(ウィンザー朝初期)
この王朝は短命でしたが、第一次世界大戦中に反ドイツ感情が高まり、
ドイツ系の名称をイギリス風のウィンザー朝に変更しました。
- ジョージ5世 (George V)
- ウィンザー朝への改称を決定した王。

5. ウィンザー朝 (The House of Windsor: 1917–現在)
現代につながるイギリス王室の時代。肖像画は、絵画に加え、写真というメディアが多く使われるようになります。
- エドワード8世

この方在位期間が325日間。
離婚歴のあるアメリカ人女性との結婚か王位かを選択を迫られ、アメリカ人女性との結婚を選択!
その為、王位はエドワード8世の弟である、ジョージ6世へ。
この決断がなければ、ジョージ6世の長女であるエリザベス2世は王位を継ぐことはありませんでした。
- ジョージ6世 (George VI)
- 第二次世界大戦を乗り切った王。エリザベス2世のお父さん。イケメンです!


歴史的・文化的な偉人の肖像画
政治家、科学者、作家など、イギリスの発展に貢献した著名人に出会えます。
教科書や文献で知っている人物が、どのような姿をしていたのかを間近で見られるのが醍醐味です。
シェイクスピア、アイザック・ニュートン、進化論を唱えチャールズ・ダーウィン、デザインが有名なウィリアム・モリス。


その他、現代のアーティスト、ミュージシャン、ファッションデザイナー、スポーツ選手などの肖像画も展示されており、
時代と共に変化する肖像画のスタイルを楽しめます。

私的みどころ!!ヘンリー8世の6人の妻たち
私がこの肖像画美術館が大好きな理由が、テューダー朝に活躍した人々の肖像画をみることができるから!
また、ヘンリー8世の妻たちも一緒に展示されています。
ナショナル・ポートレート・ギャラリーには、残念ながら4人目と5人目の肖像画は現存していません。
実際の肖像画を間近で見ることができます。
そんな6人の妻たちをここでは、更に詳しく紹介したいと思います。
1人目キャサリン・オブ・アラゴン 離婚 (Annulled) メアリー1世の母
2人目アン・ブーリン 打ち首 (Executed) エリザベス1世の母
3人目ジェーン・シーモア 死別 (Died) エドワード6世の母
4人目アン・オブ・クレーブス 離婚 (Annulled) 王の妹
5人目キャサリン・ハワード 打ち首 (Executed) アン・ブーリンの従妹
6人目キャサリン・パー 死別 (Survived) 王の死後も生存
1人目:離婚 キャサリン・オブ・アラゴン~誇り高きスペイン王女から不屈の王妃へ~

ヘンリー8世と別れる原因
男の子が育たなかったことと、王がアン・ブーリンに夢中になったため、一方的に離婚。
性格
威厳がある、真面目、頑固、忍耐強い
幼い頃から「王女」として育てられたため、責任感が非常に強い性格。
夫の浮気にも耐え、「自分こそが正当な妻だ」というプライドが高く、最後まで離婚を認めない強さを持っていました。
生い立ち
・最強の両親: 彼女の両親は、スペインを統一し、コロンブスを支援した「戦う王と女王」。
キャサリンはその末娘として、幼い頃から「将来、イングランドの王妃になる」と決められ、厳しくも最高レベルの教育を受けて育ちました。
・16歳での悲劇: 期待を背負ってイギリスへ渡り、ヘンリーの兄(アーサー)と結婚しましたが、わずか半年で夫が病死。
・7年間の貧乏生活:キャサリンは16歳で未亡人となり、身一つで異国に残されました。イギリスはスペインと同盟を維持したかったため、すぐにキャサリンをアーサーの弟、すなわちヘンリー7世の次男であるヘンリー王子(後のヘンリー8世)と結婚させる交渉が始まりました。
問題は、教会法では、兄弟の妻(義理の姉)との結婚は禁じられていたため、キャサリンが亡き夫の弟と結婚するためには、教皇の特別な許可が必要でした。教皇は、アーサーとキャサリンの結婚は未完であったとして、結婚を認めます。
・結婚(キャサリン23歳、ヘンリー8世18歳):20年以上にわたる結婚生活の多くの期間は円満で、ヘンリーは年上のキャサリンに母性を求め、キャサリンも夫に献身的に尽くしました。キャサリンは優秀で国民からも慕われる王妃でした。
キャサリンは何度も妊娠しましたが、死産、流産、夭折を繰り変えすこととなります。
チューダー朝の安定のためにどうしても男子の世継ぎが欲しかったヘンリー8世は、キャサリンが妊娠可能な年齢を過ぎたこと、そして男子が生まれないことを神の怒りだと考えるようになりました
(兄の未亡人と結婚したため、旧約聖書に記された禁忌に触れたと考えました)。
・アン・ブーリンとの出会い:ヘンリー8世は、キャサリンの侍女であったアン・ブーリンに惹かれ、彼女との間に男子の世継ぎを望むようになりました。
・イングランド国教会の設立: 教皇が離婚を認めなかったため、ヘンリー8世はローマ・カトリック教会から離脱し、イングランド国教会を創設するという劇的な手段に出ました。これにより、ヘンリーは自らの権限でキャサリンとの婚姻を無効とし、アン・ブーリンと再婚しました。
・晩年: キャサリンは王妃の地位を剥奪され、ヘンリーによって「アーサー王太子の未亡人」とされ、娘のメアリーとも引き離され、貧しい環境で幽閉された状態で亡くなりました。彼女は最後まで自らを正当なイングランド王妃であると主張し続けたと言います。
2人目:打ち首 アン・ブーリン ~王を振り回す、小悪魔的な才女~

ヘンリー8世を別れる原因
男の子を産めず、無実の浮気の罪を着せられて打ち首。
性格
気が強い、賢い、野心家、おしゃべり上手
自分の意見をハッキリ言う、当時としては珍しいタイプの女性。
「王の愛人」になることを拒否し、「妻にするなら体を許す」と王を焦らした駆け引き上手。
感情の起伏が激しく、王と口喧嘩をすることもありました。
生い立ち
・外交官の娘: イギリスの貴族の娘ですが、父の仕事の関係で、少女時代のほとんどをフランスの宮廷で過ごしました。
・最先端の女性: フランスは当時、流行の最先端。アンはそこで、オシャレなファッション、優雅なダンス、そして男性を魅了する「恋の駆け引き」や会話術を身につけました。
・ヘンリー8世との出会い: イギリスに帰ってきた彼女は、周りの大人しいイギリス女性とは全く違いました。洗練されていて、自分の意見をハッキリ言う彼女に、ヘンリー8世は今まで会ったことのない魅力を感じ、のめり込んでいきました。
・結婚(アン・ブーリン30歳ごろ、ヘンリー8世41歳):ヘンリーがキャサリンとの結婚を無効にするまで、アンへの情熱は7年間にも及びました。結婚後も当初はヘンリーの寵愛を受けていましたが、彼女も期待された男子を産めず、娘のエリザベス(後のエリザベス1世)を産んだだけでした。知的で自己主張が強かったアンは、ヘンリーと激しく口論することもあったと言われています。
・晩年:男子が得られない焦りと、ヘンリーの新たな女性への関心、そしてアンを嫌う政敵の策略により、ヘンリーの愛は憎しみに変わりました。最終的に、反逆罪や近親相姦罪という虚偽の容疑で逮捕され、ロンドン塔にて処刑されました。
アン・ブーリンが王妃でいたのは、約3年間でした。
3人目:死別 ジェーン・シーモア ~一歩下がって王を立てる、癒やし系~

ヘンリー8世と別れる原因
待望の王子を出産した直後、産後の肥立ちが悪く病死。
性格
大人しい、従順、控えめ、家庭的
自分の意見を主張せず、「夫に従うこと」を美徳としていました。アン・ブーリンのように王と喧嘩することは一切なく、常にニコニコと王を立てる、王にとって「理想の良き妻」でした。
生い立ち
・大家族の娘: イギリスの古い家柄で、たくさんの兄弟姉妹に囲まれて育ちました。勉強よりも、刺繍や家事など「良き妻・母」になるための教育を徹底されました。
・2人の王妃の侍女: 彼女は、キャサリン・オブ・アラゴンとアン・ブーリン、両方の王妃に仕える侍女でした。
・教訓を得る: 頑固で苦労したキャサリンと、でしゃばって殺されたアン。その二人を間近で見ていたため、「王に逆らわず、静かにしているのが一番安全」という生き方を身につけました。それが、疲れ切ったヘンリーにとって「癒やし」に見えたと言われています。
・結婚(ジェーン27歳、ヘンリー8世45歳):アン・ブーリンが処刑された11日後、ジェーンとヘンリー8世は結婚します。ジェーンとの結婚生活は1年半でしたが、控えめな性格が、激動の結婚生活に疲れていたヘンリーを癒やしたと言われています。彼女はヘンリーの長年の望みであった男子、エドワード(後のエドワード6世)を出産し、王に最大の幸福をもたらしました。
・晩年:エドワード出産からわずか2週間後、産褥病(出産後の感染症など)で急逝。ヘンリーは彼女の死を深く悼み、「最も愛した唯一の妻」として、後に自分も彼女の隣に埋葬されることを選びウィンザー城に埋葬されています。
息子の写真 この息子(エドワード6世9歳)がヘンリー8世の死後王位につきますが、15歳で亡くなり、キャサリンの娘メアリー、その後アン・ブーリンの娘エリザベスへと王位が引き継がれていくのです。
4人目:離婚 アン・オブ・クレーブス ~箱入り娘が突然、国際結婚の荒波へ~

ナショナル・ポートレート・ギャラリーには、ここから紹介する4人目と5人目の妻の肖像画は存在しません。
以下、上の写真の説明訳です。
”ナショナル・ポートレート・ギャラリーは、ヘンリー8世の王妃4人の肖像画を所蔵しており、さらにパリのルーブル美術館に現存するハンス・ホルバインによるアン・オブ・クレーブズの肖像画をもとにした版画など、多くの版画を所蔵している。”
”キャサリン・ハワードの確実な肖像画は現存していないが、17世紀に版画化されたホルバインの細密画の中の人物が彼女である可能性が高い”
ヘンリー8世と別れる原因
肖像画と実物が違うと王が失望し、半年でスピード離婚。
性格
真面目、穏やか、実はちゃっかりしている
最初は英語も話せず、ダンスもできない「堅物」だと思われていました。しかし、実はとても性格が良く、離婚を突きつけられた時も騒ぎ立てずに条件を受け入れ、その後は王と友達のように仲良く付き合える順応性の高さを持っていました。
生い立ち
・厳格なドイツの宮廷: ドイツの小さな国の公爵の娘です。彼女の母はとても厳しく、華やかなドレスや音楽、ダンスは「ふしだら」として禁止されていました。
・世間知らずの箱入り娘: 裁縫と祈りの毎日で、男性との付き合い方も知らず、英語も話せませんでした。
・結婚(アン24歳、ヘンリー48歳): そんな彼女が、会ったこともない50歳近い外国の王様(ヘンリー)と結婚することに。期待と不安でイギリスへ渡りましたが、派手好きなヘンリー王とは、育ってきた環境も趣味も違いすぎました。
この結婚は、宗教改革派との同盟強化を目指した政略結婚でした。イギリスはドイツのプロテスタント勢力を味方につける必要がありました。ヘンリーは彼女の肖像画を気に入っていましたが、実際に会うと、彼女の英語能力の低さや、王が期待した美貌の欠如に失望したとされています。ヘンリーは彼女との肉体関係を拒否し、結婚は未完成のままでした。
・晩年:政治的・外交的配慮のもと、ヘンリーは結婚の無効化(アニュルメント)を申請しました。アンはこれに抵抗せず、友好的に離婚を受け入れました。彼女は「王の姉妹」という称号と豊かな財産を与えられ、その後もイングランドで王家の一員として尊敬されながら暮らしました。
アンの肖像画を描いた「ハンス・ホルバイン」とは?
・ドイツ出身。ヘンリー8世の宮廷画家として、テューダー朝の主要人物の肖像画を多数制作。
・人物の地位や個性を正確に伝える表現力に優れていました。
・代表作:「大使たち」(ナショナルギャラリー蔵)、「ヘンリー8世の肖像画」「アン・オブ・クレーブス肖像画」
5人目:打ち首 キャサリン・ハワード ~愛を求め続けた、放置された少女~
ヘンリー8世と別れる原因
結婚前の男性関係と、結婚後の密会が発覚し処刑されました。
性格
明るい、無邪気、感情的、世間知らず
キラキラした宝石やドレスが大好きで、後先考えずに行動してしまう子供っぽい性格でした。おじいちゃんのような夫(王)の介護よりも、同世代の若い男性との恋に夢中になってしまいました。王妃としての自覚が足りませんでした。
生い立ち
・名門だけど貧乏: 非常に位の高い貴族(ハワード家)の出身ですが、親戚が多く、彼女の家は貧乏でした。
・放置された思春期: 両親の世話を受けられず、親戚の屋敷に預けられましたが、そこは管理が行き届かない寄宿舎のような場所でした。
・大人たちの餌食に: 守ってくれる大人がいない中、まだ10代前半だった彼女に、年上の男性たちが言い寄りました。彼女はそれを「愛されている」と勘違いして関係を持ってしまいました。実は、彼女は「愛を求めて利用された被害者」という側面が強いのです
・結婚(キャサリン19歳、ヘンリー8世49歳):キャサリンはアン・ブーリンの従妹にあたり、若く活発で快活な女性でした。当時49歳で健康を害していたヘンリーは、彼女の若さに夢中になり、まるで若返ったかのように喜びました。しかし、キャサリンは結婚前から複数の男性との関係があり、結婚後も王宮内で不貞行為に及びました。最終的に、彼女の過去と現在の不貞行為が明るみに出ると、ヘンリーの歓喜は激しい怒りと裏切り感に変わりました。彼女は反逆罪で逮捕され、アン・ブーリンと同じく処刑されました。
6人目:死別 キャサリン・パー ~王を看取る、知的な看護師~

ヘンリー8世と別れる原因
王の死まで添い遂げ、生き残りました。
性格
頭が良い、母性がある、冷静、慎重
非常に高い教養を持ち、本を書くほどの才女。気難しい王をなだめ、バラバラだった王の子供たちの母親代わりとなり、家族をまとめ上げました。自分の命が危ない時は、賢い言い回しで王の機嫌を直させるなど、立ち回りも上手でした。
生い立ち
・勉強熱心な少女: 教育熱心な家庭で育ち、本を読むのが大好きで、ラテン語や医学など高い教養を持っていました。
・2度の未亡人経験: ヘンリーと結婚する前に、すでに2回結婚していました。どちらの夫も年上で病気がちだったため、彼女は若くして「夫の看病」と「遺産管理」を経験し、精神的にも経済的にも自立していました。
・本当の恋: 実は、ヘンリーから求婚された時、彼女にはトマス・シーモアという心から愛する恋人がいました。しかし、王の命令には逆らえず、泣く泣く恋を諦めて王妃になる道を選んだのです。
・結婚(キャサリン31歳、ヘンリー8世52歳):ヘンリーの3人の子供たち(メアリー、エリザベス、エドワード)の継母として、彼らを調停し、教育に尽力しました。プロテスタント寄りの信仰を持っていた彼女は、宗教的な議論でヘンリーと衝突しかけることもありましたが、その知性で危機を乗り越えました。
・晩年:彼女はヘンリー8世が1547年に亡くなるまで王妃の地位にありました。ヘンリーの死後も生き残り、彼の遺言執行者として残された子供たちの生活を支えました。ヘンリーの死後、トマス・シーモア(3人目の妻の兄)と結婚し、子供を産みますが、産後の肥立ちが悪く亡くなります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
この当時の肖像画は、それなりに実際の人物に忠実に描かれていたそうです。
これらの肖像画を見ると、歴史上の人物ではなく、遠い昔実際に生きていた人間として、より身近に感じることができます。
また、服や背景に描かれている絵も素晴らしく、歴史を感じるだけではなく、芸術作品として楽しむこともできます。
今回の記事では、イギリス王室史にスポットを当てましたが、ナショナル・ポートレート・ギャラリーではイギリス史全体を肖像画を通して感じることができる場所です。
是非、訪れる際の参考にしてみてくださいね。
余談ですが・・・・
ちょうど、ミュージカル「SIX」(ヘンリー8世6人の元妻たちが現代のポップコンサートでガールズバンドを結成し、「誰が一番悲惨な目にあったか」を歌で競い合う、歴史を痛快に描きなおしたミュージカル)の日本語版キャストも見てきました!!
ミュージカルとしても最高に良かったですが、彼女たちなりに懸命にその時代を生き抜いたということが、
ビシバシ伝わり、最後は感動して泣きそうでした。
日本語版キャストの公演は終わってしまいましたが、英語版通常の公演は引き続き行われていますので、こちらも興味のある方は是非チェックしてみてくださいね。



