英国国内旅行でオススメは?と聞かれたら、私のオススメはスコットランド。
ロンドンとは、一味も二味も違う、重厚感がある歴史的建造物が街の至る所にあり、中世の城下町をそのまま現代にタイムスリップさせたような趣があります。
あなたも必ず、無骨感と重厚感があるスコットランドの街並みに、魅了されるはずです。
スコットランドの旅は、歴史を辿る旅です。知っていると、知らないでは、旅の面白さが異なるスコットランドの旅。
イングランドとは異なる独自の文化と、歴史を遂げた誇り高きスコットランド。
エディンバラの新旧両市街はユネスコ世界遺産に登録されています。
今日はスコットランドの旅の前に、少し見てほしいスコットランドの歴史が大きく変わった、激動の時代で、スコットランド歴史の中でおさえるべき時代の2選を、ザックリとご紹介。
イングランドとの因縁の関係性や、歴史的登場人物に女性が活躍するのも、私がスコットランド史が大好きな理由の一つです。
歴史にまつわる観光地やグルメを、オススメしながら読んでみて下さいね!
12~13世紀 スコッツ魂炸裂!小国が大国を打ち負かす時
重要な登場人物
スコットランドの歴史は、大国イングランドからの侵略と奪還の歴史
時は12世紀終わりアレキサンダー3世は、度重なる子供の死を経て自身も1286年落馬事故により死亡した。
ついにスコットランドは、正式な王家の血が途絶え、スコットランド内で王位継承者をめぐり内政が混乱します。
その機を狙いイングランドの王、エドワード1世がスコットランドに侵攻を始めます。
1292年血縁関係から、ジョン・ベイリャルとロバート・ドゥ・ブルースが時期王位継承候補者として残るが、最終的に親イングランド派のジョン・ベイリャルがスコットランド王を、継承する。
しかしながら、この王位は完全にイングランド王・エドワード1世による、操り人形になる事を意味していた。
屈辱的な臣従関係から、ついにスコットランドはイングランドに対し、1296年ダンバーの対戦で反旗を翻すも、イングランドに惨敗。
その際にイングランド王エドワード1世は戦利品として、歴代の王が戴冠式で使用していたスコットランドの守護石のスクーンの石が持ち去られ、見せしめとして、ウェストミンスター寺院のエドワード1世の椅子の座面の下に、はめ込まれました。
この石が正式に返還されるのはなんと…1996年!
700年の時を経て、正式に返還されました(1950年にスコットランドの大学生によって、ウェストミンスター寺院から、スコットランドへ盗み出されています。このお話も中々ドラマチックです)
今でもこの石はイギリスの戴冠式では一旦、スコットランドから持ち出され、イギリスのウェストミンスター寺院の、エドワード王の椅子の座面の下にはめ込まれ使用されています。昨年のチャールズ国王の戴冠式でも使用されました。
さて一旦話を1296年に戻すと、イングランドによる過酷な統治が続く、スコットランドでは、スコットランド下級貴族・中間層・下層民の間から抵抗運動が始まる中に登場したのが、英雄ウィリアム・ウォレス
それまで、内輪で一丸になれずにいたスコットランド人の、抵抗運動はウォレスの指導下に統一されていった。
この時、身分の出が低いウォレスを、スコットランドの大貴族は軽視し、重要視していなかった。
ついに、1297年9月11日 スターリング・ブリッジの戦い。
ウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍がイングランド軍に勝利する。
その後、エドワード1世の執拗な策略によりウォレスは、自身の部下の裏切りに合いイングランド軍に捉えられる。
ついに1305年、イングランド王エドワード1世は、ウィリアム・ウォレスを捕らえ、念願のスコットランドの地を手に入れる。
ここで見せしめ大好きエドワード1世
ウォレスを思いつく限りの残虐的な方法で、公開処刑を課し、スコットランド人の抵抗運動を恐怖で抑えつけようとしたが、逆に、スコットランド国民感情を鼓舞する結果となり、幾月もたたぬうちに、エドワード1世のスコットランド支配は崩れ去ることになる。
ウォレスが、今でもスコットランドで英雄とされるのは、彼の登場から、これまでも中々一枚岩になれなかった、スコットランドを一つにした事や、捕らえられた後も死を持ってスコッツ魂に火をつけた所ではないかと思います!
くぅ!カッコイイイ!
オススメの予習映画
1995年の大ヒット映画アマゾンプライムでも観れます!95年頃この映画が、スコットランド歴史のお話だと知らずに、映画館で観て号泣した思い出があります(爆)今回の記事で改めて視聴しましたが、やっぱりいい!メルギブソン様!!
かなり良い作品でオススメです!
見どころ観光名所:Stirlingに行ってみよう!
スターリングは1297年「スターリング・ブリッジの戦い」で、とうとうイングランドを、制圧した土地です。
スコットランドの歴史には、外せない地になっています
エディンバラから電車かバスで1時間前後の距離なので、エディンバラを拠点に日帰り旅行も可能です。
The National Wallance Monument
Stirling Castle
15世紀~16世紀 2人の女王と最初のユニオンジャックが出来るまで
重要な登場人物
スコットランド女王 メアリー・スチュアート
1542年12月8日メアリー(チューダー家イングランドヘンリー8世の姉が、祖母という事でイングランドの王位継承権を持つ)は、父ジェームス5世の死去から誕生してすぐにスコットランド女王となった。
当時スコットランドは、フランスと同盟を組み、相変わらずイングランドと敵対。
幼少期まではスコットランドで育ったが、スコットランド併合を画策するイングランドは、幼いメアリーに対し、策略結婚の強要しスコットランドが断ると、再びイングランドのスコットランドへの侵攻が始まり、メアリーは幼少期から18歳までフランスに疎開を余儀なくされる。
敬虔なカトリック信者としてフランス式の教育を受けて美しく育ったメアリーは、18歳でフランス国王と結婚するも夫は間もなく他界。スコットランドへ帰還する。ここからメアリーの男運の悪さが・・
※この頃すでにイングランドは、ヘンリー8世がカトリック教会から離脱し英国国教会(プロテスタント)に、宗教改革に。スコットランドとイングランドは、この宗教問題でも対立する事になる。
メアリーが帰還した頃、スコットランドも、すでに多くの貴族がプロテスタントに改宗しており、カトリック派とプロテスタント派との間で摩擦があった。メアリーは融和政策を図りながら時期再婚相手として、宮廷の有力者だったダーンリー卿ヘンリーと再婚したが、結婚後ダーンリー卿ヘンリーは、不倫や傲慢な態度を露わにするようになり、メアリーや周囲の者の怒りを招いた。メアリーは1566年6月19日にジェームスを出産。冷え切った結婚生活と自身も側近との不倫など、彼女の周りでスキャンダラスが渦巻く中、夫のダーンリー卿ヘンリーが何者かに殺害される。
3度目の結婚相手に選んだのが、なんと!!ヘンリー殺し容疑者の、ボスウェルという男。
数々のスキャンダルから、貴族や国民から見放され1567年に、王位を息子に譲り囚われの身となり翌年イングランドに亡命する。
エリザベス1世にとって、イングランド王位継承権を持つメアリーの亡命は、エリザベス1世にとって危険な存在であった。
やらかし父ちゃんヘンリー8世と母ちゃんアン・ブーリンの下に生まれた、エリザベス1世の人生もこれまた興味深いです。
メアリーの亡命を受け入れたものの、常にくすぶる自身の出生問題と、カトリックとプロテスタントの対立。
父のヘンリー8世の意向を組み、エリザベス1世はカトリック信者を排除していく中、亡命してきたカトリック派のメアリーは、2重で危険な存在であった。
メアリーはエリザベス1世の廃位陰謀にも関わったとされ、19年の幽閉の末に1587年エリザベス1世により、処刑された。
多くの文献から、エリザベス1世はメアリーの処刑に反対をしていたと言われています。19年の幽閉生活も、かなり自由な生活だったとも言われています。
メアリーの息子ジェームス 初の同君連合国王になる
男や結婚を信じないエリザベス1世は、生涯独身を貫き世継ぎを作らなかった。処刑したメアリーの息子ジェームスに、王位継承権を指名し、エリザベス1世崩御後、ジェームスはイングランドとスコットランドの初めての同君連合国王となり、ここから
現在のイギリスの形が出来上がりました。
スコットランドではジェームス6世・イングランドではジェームス1世として君臨しました。
ね?ドラマチックではありませんか?
恋を貫き陰謀や策略に翻弄されるメアリーと、「私はイングランドと結婚した」と宣言し、生涯独身を貫く、今でいうバリキャリなエリザベス1世。
そして、次の世代に宿敵の息子を国王に指名するところが、エリザベス1世の名君たるゆえんです。
オススメの予習映画
マーゴットロビーがエリザベス女王でとシアーシャ・ローナンがメアリー女王、男性社会の中で孤軍奮闘する女性を、それぞれの形で描かれていて面白いです。
エディンバラの街並み
見どころ観光名所:Edinburghに行ってみよう!
ユネスコ世界遺産に登録されている、エディンバラ旧市街と新市街。
エディンバラ城から南側が14世紀~15世紀に旧市街が出来上がりました。
17世紀から18世紀には、当時最新デザインであった新古典主義様式の建物が、北側に新市街に広がります。
これぞ城下町という街づくりで、街のどこからでもお城が覗いています。高い高層ビルもなく、かといって田舎っぽくなくて洗練された街づくりで、本当に関心しきりで歩いていました。
旧市街
新市街
Edinburgh Castle
絶対外せないエディンバラ城は、今日紹介した豆知識があると楽しみが倍増間違いなし!
入場料:大人 19.5£/子供 11.4£(7-15歳)6歳までは無料(ファミリーパックもあります)
チケットセンターを通って少し歩くと、右側にオーディオガイドセンターがあります。日本語対応もあり。
13時には入口付近でOne 0’Clock Gunを見よう!
是非13時前になったらオーディオガイドセンター近くに戻ると、大砲による時報が見られます。毎週日曜と聖金曜日・クリスマスを除いて、毎日13時を知らせる時報があります。
カメラを構えて、絶対ぶれないように構えて、大砲の大きな音に備えて、来るぞ来るぞー!と思いながら動画を撮影しますと、めちゃくちゃ、ぶれっぶれになるくらい、結構な迫力なので是非体験してみて下さい(笑)
ベスポジ公園Princes Street Gardens
エディンバラ城とスコット記念塔の間にある公園ですが、写真撮影にベストポジションな公園です。
晴れた日には、ピクニックで、のんびり過ごす人々が沢山いますよ。私達はサンドイッチを買ってお昼はのんびり過ごしました!
タイムスリップしちゃう道Royal Mile
エディンバラ城から、ホリールードハウス宮殿までを結ぶ全長1.8kmの通りの総称を、ロイヤルマイルと呼びます。パプ・お土産屋さん・バグパイプ演奏者なども街のあちこちにあり、歩いているだけでタイムスリップしたような気分になる街並みです。
故エリザベス女王の避暑地Palace of Holyroodhouse
ロイヤルマイルを東端まで歩いてくると、ホリールードハウス宮殿にたどり着きます。故エリザベス2世も避暑地として利用されていました。チケットはWeb予約がお得です。当日券は少し高いので事前に予約しましょう。
入場料:大人 £20(£22当日券)/青年18~24歳 £13(£14当日券)/子供 5-17歳 £10(£11当日券)※4歳以下は無料
おすすめグルメ
スコットランドのグルメと言うと、見た目がアレなハギスを言われますけど、円安の昨今、わざわざ美味しいのかどうなのか?冒険しなくてもスコットランドには、サーモンやムール貝や牡蠣の養殖の産地です。
新鮮なシーフードと、キンキンに冷えたワインが私のオススメ!たまたまふらっと入ったお店でしたが、大満足な美味しさでした。
The Mussel and Steak Bar
まとめ
ちょっとした雑学を頭に入れておくと更に充実すること間違いなしな、スコットランドです。ロンドンとは建物や街の雰囲気もガラッと変わって、異国感もあるので、是非この夏ショートトリップでいかがですか?ちなみに、私が訪れたのは7月ですが、まだジャケットが必要な日もありましたので、夏場も羽織る物を忘れずに!