“ノッティング・ヒル”という地名を聞いて、あなたが連想するのはどのような風景ですか?

おしゃれな家が立ち並ぶ高級住宅街?
掘り出し物が見つかるアンティークマーケット?
映画『ノッティング・ヒルの恋人』で主人公たちが運命の出会いをした本屋さん?
どれもノッティング・ヒルの街を代表する風景ですね。
しかし、毎年8月最後の週末、そのイメージとは全く異なる南国の雰囲気に、街は様変わりします。
なぜでしょうか?
その答えはずばり、ノッティング・ヒル・カーニバルが開催されるから、です‼‼‼
カーニバル開催中、いつもは閑静な住宅街であるノッティング・ヒルが、「ここはロンドンではなくカリブ海?」と錯覚してしまうほどに、エネルギッシュで陽気なお祭りムードに包まれます。
今回は、そんなノッティング・ヒル・カーニバルの概要や歴史についてご紹介します。
華やかでにぎやかなカーニバルの背景には、イギリスの抱える移民・人種差別問題がありました。
ただのお祭りとして雰囲気を味わうのもいいですが、その背景を知ることで、より深く楽しめるのではないかと思います。
ノッティング・ヒル・カーニバルとは?
どんなお祭り?見どころは?
ノッティング・ヒル・カーニバルは、毎年8月末のバンクホリデー連休に、3日間にわたって行われる欧州最大規模のストリートイベントです。
1966年から始まったこのカーニバルは、今や夏のロンドンの風物詩となっており、毎年100万人以上の参加者や観光客がロンドンに押し寄せます。
カーニバルの目玉は、なんと言ってもパレード。
色鮮やかな衣装に身を包んだダンサーたちが繰り広げるパレードは、圧巻そのものです。



パレードの参加者たちは、日本人の感覚では考えられないほど、露出度の高い衣装を着ています。
目のやり場に少々困りつつも、参加者の衣装を見ているだけでも十分楽しい!
パレードだけでなく、カリプソやスチールパン、レゲエなどのカリブ音楽をはじめとしたライブパフォーマンス、最新鋭のサウンドシステムを使用したDJブースなど、楽しみどころが満載です。
また、300以上の屋台が出店し、カリブ海名物のジャークチキンやラムパンチ(お酒)など、様々なカリビアン料理を楽しむことができます。
ジャークチキン
ジャマイカ料理を代表するグリルチキンです。
シナモンやナツメグ、チリ、ハーブなどたっぷりのスパイスに漬け込んで、炭火でカリカリに焼いた鶏肉は、辛さと香ばしさがやみつきになる美味しさです。
ラムパンチ
サトウキビの糖蜜やしぼり汁を発酵させて作る蒸留酒ラムと、パイナップルやライムなどのしぼり汁を混ぜ、フルーツを漬け込んだカリブ海発祥のカクテルです。
ジュース感覚でグビグビ飲めてしまうので、飲みすぎ注意!
2024年の開催日程


今年(2024年)のカーニバルは、8月24日(土)~26日(月祝)に開催されます。
パレードやライブステージが行われる場所は、曜日や時間帯によって異なります。
●8月24日(土)
ストリートバンド・コンペティション
●8月25日(日)
ファミリー&チルドレンズデー
●8月26日(月祝)
アダルトデー
初日には、「ストリートバンド・コンペティション」が実施されます。
スチールパンという楽器演奏を主としたバンドの実力を競います。
初日のみ前売りチケット制となっていますのでご注意ください。
2日目は「ファミリー&チルドレンズデー」となっています。
こどもたちによるパレードが実施され、大人顔負けのパフォーマンスを披露します。
お子様連れでの参加を検討されている方は、2日目に行かれるのがよいでしょう。
3日目は、「アダルトデー」。
本気のカーニバル体験をしたい方は、最終日に参加しましょう。
ただし、盛り上がりも最高潮に達しているので、何が起こるかは予測不能です…
詳しいスケジュールは、こちらの公式サイトからご確認ください。
カーニバル参加にあたっての注意事項
先述の通り、曜日や時間によって実施内容や場所が異なりますので、事前確認が必要です。
また、会場近隣の店舗の多くは、カーニバル期間中は休業しています。
交通機関
会場周辺の最寄り駅は、Ladbroke Grove駅、Westbourne Park駅、Notting Hill駅となります。
しかし、カーニバル期間中、これらの駅は閉鎖もしくは降車専用となります。
路線バスも運休するなど、公共交通機関が通常時とは異なる営業体制となりますので、予め運行状況をご確認ください。
また、ケンジントンやチェルシー周辺の道路が通行止めになるなど、カーニバルに参加されない方にも影響が出る可能性がありますので、ご注意ください。


トイレ


屋外イベント時に、どうしても気になるのがトイレ事情。
会場のところどころに無料の仮設トイレはありますが、基本的に男女共用です。
また、ご存じの通り、水道事情がよくないこの国ですから、詰まってしまって使用不可ということが頻発すると考えられます。
熱中症対策として水分補給は必須ですが、飲み過ぎてトイレ難民にならないよう、意識しておくことも必要です。





有料で自宅トイレを貸し出している近隣住民の方もいるそうです。
防犯
世界中から100万人を超える観光客が集まるイベントですので、当然、スリなどの犯罪の発生率も高くなります。
会場となるエリアには、カーニバル開催前から多くの人出があり、昼間から浴びるようにお酒を飲んでいる人がいるだけでなく、大麻や笑気ガスなどの違法薬物を使用している人も、残念ながらいます。
もちろん、会場周辺には警察官が多数出動し、巡回警護に当たっています。
その甲斐もあって、年々、犯罪率が減っていると言われています。





筆者は昨年、カーニバル開催前(土曜日の午前中)に周辺を散策したのですが、あちらこちらから不快な匂いが漂っていて、気分が悪くなりそうでした…
せっかくのカーニバルを楽しむためにも、防犯対策はしっかりとしておきましょう!
ノッティング・ヒル・カーニバルの歴史
では、ここからは、ノッティング・ヒル・カーニバルの歴史についてご紹介したいと思います。
異文化のお祭りに参加する際には、その歴史や背景を知り、相手の文化に敬意を払った上でお邪魔させていただくのが礼儀ですよね。
はじまりは移民・人種差別問題
ノッティング・ヒル・カーニバルの公式HPに、次のような言葉が載っています。
“If there weren’t race riots in Notting Hill I don’t believe that we would have had the Notting Hill Carnival.
https://nhcarnival.org/experience/history
If it wasn’t for the murder of Kelso Cochrane, Carnival wouldn’t have happened.”
「ノッティング・ヒルでの人種差別暴動がなかったら、ノッティング・ヒル・カーニバルはなかっただろう。
ケルソ・コクレーンの殺人が起こらなければ、ノッティング・ヒル・カーニバルは起こらなかっただろう」
現在では、多文化共生の街ロンドンならではの華やかなイベントとして知られているノッティング・ヒル・カーニバルですが、その起源は1950~60年代に社会問題となっていた移民差別、人種差別問題にありました。
1958年、ノッティング・ヒルにおいて、労働者階級の白人たちが、地域の黒人コミュニティに対する暴力行為をはたらきました。
黒人たちはこれに対抗し、抗争は2週間にも及び、多くの逮捕者が出る事態となりました。
翌年の1959年、アンティグア出身の男性ケルソ・コクレーンが、人種差別的理由によって殺害されました。
彼の葬儀には、人種差別に対する連帯と反抗を示すために、1200人以上が参列したと言われています。
また、その事件の捜査において、警察による隠ぺい工作が疑われるなど、当地域において、人種間の緊張が非常に高まっていました。
ウィンドラッシュ世代~カリブ海諸国からの移民たち~


そもそも、なぜ当時のノッティング・ヒル地区で、人種差別問題が起きたのでしょうか。
第二次世界大戦後、戦争で失った労働力不足を補うために、英国政府は、当時の植民地や英連邦諸国から、多くの移民を合法的に受け入れました。
その移民たちが住み始めたのが、ノッティング・ヒル地区だったのです。
1948~1973年の間に、カリブ海諸国から、50万人以上の移民が船に乗ってイギリスにやって来ました。
彼らは「ウィンドラッシュ世代」と呼ばれますが、それは、移民の第一陣が「エンパイア・ウィンドラッシュ号」という船に乗ってやって来たことに由来します。
移民の多くがノッティング・ヒルに住むようになりましたが、従来からの住民たちの間には、自分たちの住居を移民に奪われるのではないかという不安が広がりました。
そうしたことを理由に、従来住民(白人)と移民(黒人)の間に緊張が高まっていったのでした。
このような状況を打開しようと立ち上がった人たちの努力によって、ノッティング・ヒル・カーニバルの礎が築かれていきました。
クラウディア・ジョーンズとラウネ・ラスレット
トリニダード出身のジャーナリストで人権活動家のクラウディア・ジョーンズは、カリブ系移民の誇りを取り戻すべく、1959年にセント・パンクラスのタウンホールで、カリブのカーニバルに欠かせないカリプソやスチールパン・バンド、ダンスなどを中心とした屋内イベント「カリビアン・カーニバル」を開催しました。
また、ノッティング・ヒル地元住民の中にも、人種間の緊張を和らげようと努力している人たちがいました。
そのうちの一人が、当地区の地元住民でソーシャルワーカーのラウネ・ラスレットです。
彼女は、地元住民と移民の和解・融合を目指して、1966年にノッティング・ヒル地区のこども向けにストリートフェアを実施しました。
この2人の女性が中心となってはじめた2つのイベントが後に融合し、現在のノッティング・ヒル・カーニバルへと発展していったのです。
現在のノッティング・ヒル・カーニバルが抱える問題
移民・人種差別問題に端を発し、その後は、多文化共生を象徴するイベントへと発展を遂げたノッティング・ヒル・カーニバルですが、現在はまた別の問題を抱えています。
それは、カーニバルの賑わいに乗じて狼藉をはたらく無法者たちによる迷惑行為です。
既に述べたように、カーニバル会場周辺には、泥酔した人や違法ドラッグを摂取した人がたくさんいます。
そうした人たちが騒いで暴れ、建物に危害を加えるケースが後を絶たないため、周辺住民は家の前にバリケードを設置します。
ひどい場合には、そのバリケードを壊して建物に侵入したり、放尿したりする輩もいるそうです。
また、パレードが終わった後の沿道には、大量のゴミが捨てられています。


ノッティング・ヒル・カーニバルを、街の風物詩として心から愛している人がいる一方で、上述したような問題行動が後を絶たないことや、周辺交通機関がストップしてしまうなどの理由から、住宅街でのカーニバル実施を「迷惑だ」と感じている近隣住民がいるのも現状です。



お祭り気分を楽しむのはいいですが、人に迷惑をかけないようにしたいですね。
まとめ
毎年8月末に行われるノッティング・ヒル・カーニバルについてご紹介しました。
この記事を読んで少しでも興味を持たれた方はぜひ、この夏、本物のカーニバル体験をしてみてください!
世界中からたくさんの人が集まり、パフォーマーも見物客も一体となって歌い、踊る様子はきっと、日本では味わうことのできない、特別な体験となるでしょう。
そして、ただカーニバルの雰囲気を楽しむだけでなく、その背景にあった出来事にも、少し思いを馳せてみてくださいね。
昨年、筆者はカーニバル開始前の街の雰囲気を少し覗き見しただけでしたが、今年こそはカーニバル参戦を目論んでおります!
会場でお会いしましょう!





